いつだってボンベイ

本、映画、音楽に浸り、美味しい食と巡り合う。

退屈を妄想で潰すなら

この人に手伝ってもらいましょう。

 

森見登美彦

 

京都を舞台とし、腐れ大学生の思考、その思考からやむにやまれずした行動について、丹念に、威風堂々と描きます。

かなり個性的な語り口なので、苦手な人は苦手です。私は二人の人に薦めましたが、二人ともダメでした。それ以降はあまり、人に薦めないようにしております。

 

さて、そんな作者の作品の中でも私の1番のお気に入りはこちらです。

 

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

 

 本屋でお見かけした方も多いかもしれません。

 

主人公はさえない大学生。(とはいっても京大生ですよ!?)

ある女の子にとことん惚れております。

 

この物語はなんとか彼女の目にとまろうと(作中では『ナカメ作戦』と呼ばれています)主人公が空回りしつつ、ひたすら彼女の心の外堀を埋めていくお話です。

その主人公の涙ぐましい努力はどこか滑稽で、でもまっすぐで、ついつい応援してしまいます。

そして、お目当の彼女はど天然。

回りくどい草食男子と天然女子。

決して結ばれそうにない二人ですが…

 

とにかく、二人の奥ゆかしいやりとりが可愛くて可愛くて。

天然女子が嫌いな男性諸氏もこの子には骨抜きにされてしまうのではないでしょうか。

 

そして、忘れては行けないのが作品の世界観です。

ベースは、ファンタジーです。しかしそれは現実の延長線上にあるファンタジーです。

勇気を出して、一歩踏み出した者が見られる世界。とでも言いましょうか。

 

日常が退屈で、「何かいいことがないかなぁ」と燻っている方。

この本を読むと、「退屈な日常も外堀を埋めるところから始めれば、いつの間にか不思議でワクワクするような世界に入り込めるのではないか」そんな気になります。

 

是非!

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とんび (重松清 著)

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本を読んで嗚咽しました。

 

本の内容についてはこちらをご覧ください。

 

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「我が子の幸せだけをひたむきに願い続けた」

 

この1文が引っかかります。

確かにひたむきに愛情を注いでいます。

しかし、「子の幸せだけ」を願い続けたというのは少し違うと思います。

 

作品の中で、親である「ヤスさん」は息子である「アキラ」に暴言を吐いてしまうことがあります。

 

「東京に行くんじゃったら、勝手にせえ。そのかわり、ゼニは出さんけえの」

 

このセリフが吐き出されるまでの流れは、なんとも絶妙です。

高校生の「アキラ」の進路の第一希望は早稲田大学に入学することです。「ヤスさん」としては、これが寂しい。しかし「親」としては、「寂しいから東京に行かないでくれ」と言うわけにはいかない。それは、「ヤスさん」もわかっている。
ヤスさんはこんなモヤモヤとした気持ちをずっと持て余していました。

そんなとき、酒を飲み、酔ってうたたねしていたところを「アキラ」に起こされ、二人のやりとりの中で先ほどのセリフが飛び出してくるのです。

ここでの「ヤスさん」と「アキラ」のやりとりは、なんだか息がつまります。まるで、自分の過去の恥ずかしい思い出を振り返るときのように、顔がかあっと熱くなり、「うわあ、やめてくれやめてくれ」と思わずうめきたくなるのです。

 

親は子のよき理解者でいたいし、我が子は自分のよき理解者であって欲しいと思うでしょう。

子が大きくなるにつれ、親は当たり前のことに気づきます。

 

「自分と子どもは違う人間なんだ」

 

そして、親は「子の幸せ」というものが自分がいなくても成り立つことにいつしか気づいてしまうのではないでしょうか。

 

それは、とても寂しい。

 

親とは寂しいものだーー。

親とは哀しいものだーー。

親とは愚かなものだーー。

親とは一生懸命なものだーー。

親とはーー。

親とはーー。

親とはーー。

親になって、よかった。【本文より】

 

子の成長を見届けるのは、うれしくて寂しい。

自分の親も最後の一行のような感想をもってくれていただろうか。

 

そして、自分もそんな気持ちになれるだろうか。

 

この作品を通して、人とのつながり、家族とのつながりを考えさせられました。

 

読み終えたら、身近な人にちょっと優しくなれる。これは、私にとってそんな本です。

 

みなさんもぜひ!

 

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ジブリ大博覧会

行ってきました。

 

展示内容

  1. 『レッドタートル ある島の物語』にまつわる部屋
  2. ポスター
  3. 新聞広告
  4. 宣伝資料
  5. 企画書
  6. 鈴木敏夫氏の部屋再現
  7. 販促グッズ
  8. スタジオジブリの掲示板
  9. ネコバス
  10. 空飛ぶ機械たち

 

かなりこの博覧会を見くびっていました。

かなりのボリュームです。

 

特に見応えがあったのは、

 

4 宣伝資料


5 企画書

 

8 スタジオジブリの掲示板

 

この三つです。

 

キャッチコピーはちゃんと見なきゃ

宣伝資料を見た時に、こんな感想をみなさんもつと思います。

 

ちなみに、鈴木敏夫氏の名前で出されているこちらの本

 

ジブリの仲間たち (新潮新書)

ジブリの仲間たち (新潮新書)

 

 

を読んでからの方が、より面白く観覧できます。

 

 宣伝資料の展示は、スケジュール表や、全国のキャンペーン周りの手描き地図などもあります。

 しかし、目玉は、作品のキャッチコピーを決めるまでの鈴木敏夫氏と糸井重里氏のFAXでの熱いやりとりでしょう。

特に見応えがあるのは、「もののけ姫」のキャッチコピーが決まるまでです。

最終的に決まったキャッチコピーは【生きろ】です。たった3文字のキャッチコピーですが、そこに込められている制作者側の思いと、コピーライターの葛藤がFAXのやりとりの中で赤裸々に語られています。

キャッチコピー一つ決めるにもここまでこだわっているのかと、「ジブリの仲間たち」を読んでいて知っていたにもかかわらず、圧倒されます。

 

企画書のお手本?

企画書の展示は監督の直筆で、作品の概要、設定、テーマなどが殴り書きされています。

 それほどの分量はないのですが、ものすごいプレゼン力だと感じました。(その道のプロが見たら、鼻で笑うかもしれませんが。。。)

 

プレゼンのテクニックについては、様々な本でそれこそ星の数ほど述べられてきています。

しかし、監督の企画書を見るととにかく、熱い。作品に対する一途な思いが伝わってくる文章で、なんだか無条件で企画を通したくなってしまう力をもっているように思えました。

 それは、決してテクニックなどではなく、ただただ、自分の思いをぶつけたものに過ぎないのかもしれません。しかし、結局のところ、人間というのは、論理的な話よりも情に訴えかける話に心を動かされるのかな。そんなことをかんがえさせられました。

 

さらに、ここでも驚いたのは、「もののけ姫」の企画書です。

なんと、最後のサンとアシタカのセリフは企画書の段階で決まっているのです。(ただし、アシタカのセリフは映画の中のものと異なる。制作過程で監督の考えが変化していったのでしょうか。。。)

色んな意味で凄い作品だなあと思いました。

 

ジブリという職場が日常なんだ。。。

最後に、ジブリの掲示板の展示についてです。

これは、必見です。

その日支給される弁当や、忘年会のお知らせ。

はたまたバーベキューのお知らせまで。

制作者側の生活感が漂う展示です。

 

決してジブリの制作者は我々とは違う非日常を生きているのではなく、日々の昼飯や、たまにあるイベントに心を踊らせる、そんな人たちなんだと気付かされます。当たり前のことですが、ジブリ信者の方ほど、妙に感慨深い気分になるのではないでしょうか。

 

 

この大博覧会も最新作「レッドタートル」のプロモーションの意味合いが強いと思います。まんまとその作戦に踊らされましょう。やっぱりジブリの作品を私はまだまだ見たいのです。

 

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スタンド・バイ・ミー

1986年の8月8日アメリカで公開された映画です。30年前の今日に公開されたんですねえ。感慨深い。

 

原作はモダン・ホラーの大家スティーヴン・キングの非ホラー短編集。原題は『恐怖の四季』の中に収められた秋の物語THE BODY(「死体(英語版)」)である。【Wikipedia】より

 

作品の概要

1950年代末のオレゴン州の小さな町キャッスルロックに住む、それぞれ心に傷を持った4人の少年たちが好奇心から、線路づたいに“死体探し”の旅に出るという、ひと夏の冒険を描いている。

アカデミー脚色賞、ゴールデングローブ賞作品賞、監督賞にノミネート。また、ベン・E・キングが歌う同名の主題歌はリバイバルヒットした。

タイトルのStand by Meとは、「自分のそばにいて」という意味と「自分の支えでいて」という意味である。歌の歌詞の意味は後者になるので、映画のストーリーを考慮すれば「今の自分があるのは、子供時代の仲間が心の支えになっていたからこそであり、これからもそれは変わらない。」という趣旨になると思われる。

兄弟間の葛藤において生じるカインコンプレックスについても描かれた。【Wikipedia】より

 

この作品を見ると、いつも人と人との出会いとわかれについて考えてしまいます。

 

暇に任せて、グダグダとつるむ悪ガキ4人。

ちょっとした好奇心と功名心から、死体探しの旅に出かけます。

 

主人公とクリスは彼らが心の奥にしまいこみ、持て余している心の傷をお互いに見せ合います。

 

そんな主人公のよき理解者であるクリスとは、その後親交が途絶えるようです。(当然他の2人とも)

 

時とともに友達も変わり、レストランの客のように入れ替わっていった。

 

 

そして、月日が流れ、クリスが事件に巻き込まれた記事を読み、亡くなったことを知る。

実際クリス役のリヴァー・フェニックスも亡くなっています。

 

少年時代の回想の最後。

主人公は彼の後ろ姿を見送ります。

その後ろ姿がなんとも言えない。

 

主人公と別れる間際、彼は自分の町を見つめながら、こんな会話を主人公と交わします。 

 

クリス「いつか、この町を出られると思うか?」

主人公「君ならなんだってやれるよ」

クリス「そうさ、決まってら」

 

そのときのクリスの横顔は、息をのむほど真剣です。周りに認められずにいる今の自分と決別するかのように、町をまっすぐに見つめています。

 

私はあの12歳の時にもった友人に勝る友人を、その後、2度ともったことがない。

誰でもそうなのではないだろうか。

 

暑い夏の夕暮れに見ると、切なさが倍増します。

まだ見たことのない方は是非!

 

堀江貴文という個性

今更ですが、読みました。

 

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 堀江貴文はなぜ、逮捕され、すべてを失っても、希望を捨てないのか?ふたたび「ゼロ」となって、なにかを演じる必要もなくなった堀江氏がはじめて素直に、ありのままの心で語る、「働くこと」の意味と、そこから生まれる「希望」について。【Google Books】より

 

 私はこの紹介文を読み、感傷的な内容を想像してしまいました。実際、著者の生い立ちなどもテンポよく書かれています。

 

が、この本を通して一貫して感じたメッセージは

 

「とにかく行動しなさい」

 

でした。

 

 自分の生い立ちや、ライブドア時代の話も、感傷的なものではありません。過去の自分を冷静に振り返り、描くことで、常に全力で突き進む堀江貴文の姿が浮かび上がります。

 

そして、本著では、今までの「ホリエモン像」はことごとく崩れ落ちていくでしょう。

 

「えっ、ホリエモンって泣くの?」

「人の優しさに心を打たれるの?」

「本を読んで感動するの?」

 

などと、具体的なエピソードを語りながら、「自分はこんな人間です。」と端的に述べています。

 

それは、ありのままの自分を理解し、受け入れてもらいたいからだと、著者は語ります。

「今更好感度アップか?」

と読者が少し意地悪な気持ちでツッコミを入れたことなどお見通しのように、次の文が続きます。

 

『僕には、どうしても伝えたい思いがあり、どうしても成し遂げたい夢があるからだ。』【ゼロ  なにもない自分に小さなイチを足していく】本文より抜粋

 

自分のことを理解し、受け入れてもらいたいのは、あくまでも自分の目的達成のためだ。というのです。

 

  本当に落ち込んで、自信をなくしているときにこの本を読んでもあまり勇気づけにならないかもしれません。

 なぜなら、堀江貴文という人は、どこまでも前向きで合理的だからです。うじうじ悩んでいることに意味がないことが分かっていても、悩んでしまっているような泥沼状態のときには、ますます自分はダメだなと思い知らされるかもしれません。

 

 しかし、それでも読んでみることをおすすめします。

「最近なんかつまらない。」

「やる気が出ない。」

「孤立している気がする」

「自分に嫌気がさしている」

「なにもやりたくない状態がつらい」

 

そんな人はとりあえず、買ってみましょう。

 

読み終えたら、自分の悩みが小さなものに思えるかもしれません。

『失敗しても、たとえすべてを失っても再びゼロというスタートラインに戻るだけだ』【ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく】本文より抜粋

と素直に思えたら。

 

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グッドウィルハンティング 旅立ち

『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(グッド・ウィル・ハンティング/たびだち、Good Will Hunting)は、1997年公開のアメリカ映画。監督はガス・ヴァン・サント、製作会社はミラマックス。

天才的な頭脳を持ちながら幼い頃に負ったトラウマから逃れられない一人の青年と、最愛の妻に先立たれ失意に喘ぐ心理学者との心の交流を描いたヒューマンドラマ。

1997年12月のワールドプレミアでは当時は無名の俳優であったマット・デイモンが執筆した脚本と完成度の高さに注目が集まり、最終的にアカデミー賞ゴールデングローブ賞において脚本賞を受賞するなど高い評価を受けた。【Wikipediaより】

 

アドラー心理学自己啓発書(『嫌われる勇気』など)の中で取り上げられ、アドラー心理学の考え方が爆発的に広まって久しい昨今。

 

原因論ではなく、目的論で物事を捉えていこうという風潮が少しずつ広まりつつあるように思います。

 

原因論と目的論について

ユングフロイトが感情や行動は「過去の原因から生み出される」と原因論を説いたのとは逆に、アドラーは「目的のためにつくり出される」と目的論を唱えた。

 「例えばひきこもりであれば、原因論では外に出る不安感から家にひきこもっていると考え、不安の原因を探そうとします。一方、アドラー心理学では外に出たくないから不安感をつくり出していると考える。親に大事に扱ってもらいたいとか、親への復讐(ふくしゅう)だとか、外で傷つきたくないとか、行動には目的があると考え、それを見極め、適切な対処をしようというわけです」と岸見さんは説明する。

【特集ワイド「アドラー心理学」今なぜブーム?毎日新聞 2016年5月19日 東京夕刊】より

 

本作は完全に原因論に基づいてヒューマンドラマを描きます。というより、ヒューマンドラマを描くのに、目的論を導入してしまうと、あまり感情移入出来ないかもしれません。

 

「ここで、主人公が自分の1番の理解者を罵倒してしまうのは、自分の主張を通すためだ。」

と分析してしまうと、途端に主人公の行動が打算的なものに見えてしまいます。

「過去に負った心の傷が原因で、自分が愛する人も傷つけてしまう」

という解釈の方が、人間をより繊細で不合理で、その危うさに魅力を感じることができます。

 

この作品は、原因論と目的論について知った上でも「やっぱり人間はそんなに合理的な生き物じゃない!感情に振り回されて不合理なこともしてしまうんだ!」と思わせてしまう力があると思います。

その力の源は、やはり役者さんの演技でしょうね。なんだか、すごく生々しいのです。

そして、脚本、演出も素敵です。

 

自分に自信がなくなったとき、どうしようもなく自分を認めてあげることができないとき、この映画を見てみてください。

「君は悪くない」「君のせいじゃない」

作品全体を通してそんなメッセージを送ってくれているような気になります。

そんな映画です。

 

 

再スタートしたい。

でもその前に、大好きなあの子に会いに行きたい。

おんぼろの車で。

鹿児島ラーメン 豚トロ 天文館本店

本日はこちらです。

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頼んだのは

【半熟煮卵入り 豚トロラーメン】870円

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なかなか美味しい。

フライドオニオン?ガーリックが香ばしい。

かなり油感多めのスープに見えますが(実際多いでしょうが)見た目ほど重くありません。

 

鹿児島の味付けのイメージは甘辛いイメージなので、甘いスープを想像していましたが、塩気もバッチリ効いて無難な味わい。

 

しかし、チャーシュー(豚トロ)は甘辛くほろほろな角煮のような感じ。チャーシューと一緒に食べると、鹿児島の甘辛い味わいに変化します。

 

鹿児島に4店舗あるだけはある。

だれが食べても美味しいと思えるものではないでしょうか。

 

鹿児島に行ったら絶対に行ってください!とは言えませんが、天文館をぶらついてお腹がすいたらどうぞ!