とんび (重松清 著)
本を読んで嗚咽しました。
本の内容についてはこちらをご覧ください。
「我が子の幸せだけをひたむきに願い続けた」
この1文が引っかかります。
確かにひたむきに愛情を注いでいます。
しかし、「子の幸せだけ」を願い続けたというのは少し違うと思います。
作品の中で、親である「ヤスさん」は息子である「アキラ」に暴言を吐いてしまうことがあります。
「東京に行くんじゃったら、勝手にせえ。そのかわり、ゼニは出さんけえの」
このセリフが吐き出されるまでの流れは、なんとも絶妙です。
高校生の「アキラ」の進路の第一希望は早稲田大学に入学することです。「ヤスさん」としては、これが寂しい。しかし「親」としては、「寂しいから東京に行かないでくれ」と言うわけにはいかない。それは、「ヤスさん」もわかっている。
ヤスさんはこんなモヤモヤとした気持ちをずっと持て余していました。
そんなとき、酒を飲み、酔ってうたたねしていたところを「アキラ」に起こされ、二人のやりとりの中で先ほどのセリフが飛び出してくるのです。
ここでの「ヤスさん」と「アキラ」のやりとりは、なんだか息がつまります。まるで、自分の過去の恥ずかしい思い出を振り返るときのように、顔がかあっと熱くなり、「うわあ、やめてくれやめてくれ」と思わずうめきたくなるのです。
親は子のよき理解者でいたいし、我が子は自分のよき理解者であって欲しいと思うでしょう。
子が大きくなるにつれ、親は当たり前のことに気づきます。
「自分と子どもは違う人間なんだ」
そして、親は「子の幸せ」というものが自分がいなくても成り立つことにいつしか気づいてしまうのではないでしょうか。
それは、とても寂しい。
親とは寂しいものだーー。
親とは哀しいものだーー。
親とは愚かなものだーー。
親とは一生懸命なものだーー。
親とはーー。
親とはーー。
親とはーー。
親になって、よかった。【本文より】
子の成長を見届けるのは、うれしくて寂しい。
自分の親も最後の一行のような感想をもってくれていただろうか。
そして、自分もそんな気持ちになれるだろうか。
この作品を通して、人とのつながり、家族とのつながりを考えさせられました。
読み終えたら、身近な人にちょっと優しくなれる。これは、私にとってそんな本です。
みなさんもぜひ!